なんくるない 〜たくさん話して一緒に考えて〜

我が家の長男、なんか他の子供と違うかも。成長がゆっくりなのかも。と思ってから今日までの日々の記録

誕生日プレゼントを買ってもらいに

3月生まれの長男、先日誕生日プレゼントを買ってもらいにおばあちゃんと本屋さんへ行きました。おばあちゃんによれば、漫画コーナーへ行ってみたり、絵本コーナーへ行ってみたり、児童書コーナーやキャラクター本コーナーなど、途中色々と説明しながら時間をかけて一冊を選んだそうです。

何回も楽しめる本/自分も嬉しいけどおばあちゃんも買ってあげてよかったと思える本/お母さんがダメって言わない本

相手の気持ちを考えたりするのは得意ではないので、特に二つ目に成長を感じました。こんなところから社会勉強。

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ふと自身が高校時代(私服の高校でした)に祖母と一緒に買い物に行って誕生日プレゼントにセーターを買ってもらった時のことを思い出しました。

祖母のいつも行っているデパートで買える服/私も気に入って着られて、祖母もかわいいと感じてくれる服/素材、用途など、ちょっとスペシャルに感じられる服(高校生がデパートで服を買うので)

条件を満たすセーターを買ってもらって、嬉しさと同時に自己肯定感に包まれたのをよく覚えています。

しかし、ほぼ同じ思考を長男に強いていることにびっくり。複雑な気持ちになります。誕生日の時くらい、本当に自分が欲しいものを買ってもらえば良いという考え方だってあると思います。でも、多分私に育てられているから。みんながハッピーになることを考えてしまうんでしょうね。きっとこの気の遣い方は私も母から譲り受けたもののように思います。

ちなみに、私が当時買ってもらった洋服は20年以上経ってまだ健在。流石にだいぶくたびれて普段着にランクダウンしつつありますが、今でも時々着ています。長男もきっと買ってもらった本、大事に読むのでしょうね。

授業中に本を読んでいても良い!?

二年生の担任の先生とは、お電話や個人面談などでも色々と話をさせていただき、二年生の三学期は学校が少し長男に寄り添ってくれるようになって来たと感じました。

リハビリテーションセンターのソーシャルワーカーの方に勧められて、まずは個人面談で少し長く時間をとっていただき、夫と二人で担任の先生と児童専任の先生と、学校での様子や家庭での様子、親として感じていることや本人との会話について、家で取り組んでいることなど色々と話をしました。

丁寧なコミュニケーションを取ることで、多分、先生の中でも「やんちゃなケンカっ早い生徒(あくまでもone of them)」から「この生徒は少し配慮がいるかもしれない」と認識が変わり、注意深く長男の行動を見てくださったり、話の仕方、聞き取り方なども模索してくださるようになりました。そうしているうちに、先生もより立体的に長男のことを理解してくださるようになり、彼の行動の背景まで想いを巡らせてくださるようになりました。

その成果として、二年生の三学期、学校から「こんなことを試しています」という報告を2つ受けました。

(1)どうしても授業中に集中できない、先生の話を聞けない、立ち歩く、お手洗いで席を立つ、ということが多く頭を悩ませておられたんだと思います。教室にある本を片っ端から読んであっという間に10冊ほど読み終わってしまった、ということがきっかけで、朝、図書室で本を複数借りて(家から読みたい本を持っていくのもOK)、どうしても授業に集中できない時は席に座って本を読んでも良い、という特別ルールを作ってくださいました。それがとても上手くはまって、それ以降、授業中は本を読みながら席に座っていられると言うのです。クラスの他の生徒にも、「〇〇さん(長男)は今はこれで良いんだよ。だから注意しなくて良いからね。」と周知してくださったそうです。

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(2)昇降口で一年生を押して、膝を怪我させてしまった一件の後、児童専任の先生のところへ朝行って、今日はどんなことに気をつけようという話をして、下校前にも児童専任の先生のところへ行って1日を振り返る、ということをしてみています、とのこと。嫌がることなく毎日行ってますよ、とのことで、先生方が彼のことを気にかけて下さっていることが伝わって来るのが前向きになれる理由なのかな、と思いました。

これらは三年生になって一旦仕切り直し。新しい担任の先生が、また別の試みをしてくださっているのが今の状況です。でも、私たちからの働きかけでこんなにきめ細やかに色々と考えてくれるんだ!横浜市の公立小学校やるじゃん、と思えたことはとてもよかったと思っています。そして新しい担任の先生との一年間もまた楽しみです。

記憶喪失?

一年生が、学校の昇降口で押されて転んで膝を強く打ち怪我をした。と保健室に駆け込んだ。周りの目撃情報から、押したのはウチの長男らしい。ということで、保健室に長男は呼び出された。 しかし、本人は全く記憶にないと言う。押してしまった事実も、誰かが転んだことも気づいていない。「確かに下駄箱に向かって走って行った。」事実として彼が認識しているのはそれだけ。

側から見れば、何をしらばっくれてるの、という状態。

でも、本当に気付いてないようなのです。その他も、お気に入りのテレビ番組が見たくて急いで宿題をやったら、途中のページを全部飛ばしていた、とか。。。宿題終わった!と言うから見せてもらうと、全然終わってない。本人に正すも「誤魔化してない!本当にやった!」と泣きじゃくる。真剣にやったつもりで急ぐあまりに飛ばしているのか、あるいは記憶が何らかの理由で抜け落ちているのか。。
私たち夫婦は、ほんと??と疑わしくても、子供を信じるように努めているので、もしかしたら長男に騙されている。。のかもしれない?と一抹の不安を抱えつつ、そっか、じゃあ次から気をつけよう、という方向で話をしています。2年生の子供にそんな器用にその後もずっと綺麗に騙し通せるはずがない、とどこかで思っている部分もあるかもしれません。

その後もお札がポケットから出てきたけれど記憶がない、という事件が起こり。。関係しそうなところには全て連絡したけれど、お金の出所は分からないまま。2時間以上、人の信頼を得るとはどういうことなのか、それが人生においてどれほど大事なことなのか。。そう考えた時に、今回のことがどれだけ重大な問題なのか。。ということを滔々と本人と夫と私で話しました。もし、本当に記憶がないんだとすると、病気かもしれない、ということも。お父さんとお母さんは、ごめんなさい、本当のことを言う勇気がなくて、嘘ついていました、という方がよっぽどホッとする、ということも。

それでも、お札をポケットに入れたことは本当に記憶がない、と言うのです。

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昔はもう少し覚えていたように思います。ここ数ヶ月で出てきた症状のように感じます。これも何らかのストレスなのか。。

今度、専門家に意見を伺おうと思っています。

仕事をしていて思うこと

職場に、少し身体の障がいのある方がいます。高いスキルをお待ちで、職場には欠かせない存在。でも、もうそこそこの歳の方で、社会が多様性を受け入れにくかった時代に子供時代を過ごされたためか、人物という意味でも、思考パターンが独特で、思い込みが激しかったり、ちょっとした怒りがすぐに表に出て人に当たってしまったりという部分もあって、少し扱いにくい方なのです。

以前はどう接したら良いのか分からず、恐々話しかけていました。でも、長男と対峙するようになって、お願いの仕方、気の遣い方を他の人と同じようにしたら上手くいかないかもしれないけれど、この人に伝わる伝え方を考えていけばいいんだ、と怖くなくなりました。

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私は曲がりなりにも上司で、お願いをすることも多い。どう伝えれば、良いアウトプットにつながるのか。苦手なことを克服することには一旦意識を向けず、それよりも苦手が表に出ないやり方を考え、サポートする。まだまだ分からない部分も沢山あり、試行錯誤の連続ですが、今一緒に頑張っているところです。必ずしも上手く行っている訳ではないかもしれないけれど、私の気持ちが伝わっているのか、今は良い関係を築けているかな。。

長男と向き合ってきたことが、こんな形で仕事へ良い影響をもたらしている。生成AIだのなんだのと人の介する必要性が薄くなっている時代だけれど、こういうことはなかなかAIには真似できないことだよね、と確信する今日この頃です。

感覚鈍麻??

市の職員の発達の専門家が小学校に視察に来るという話で、小学校の先生から電話があり、長男も見てもらうことを希望するか、とのこと。聞けば、対象となる生徒のクラスの授業を視察したり、休み時間に話しかけたりして、日常生活の中で発達の特徴を観察してくださるとの事。保育園でもそういう事をやっているという話は他のお母さんから聞いていたので、すっと理解ができました。(いずれも横浜市の話)

限られた時間でも、普段の様子を専門家が見たらどうなのか知りたかったので、お願いをすることにしました。先生経由でフィードバックを教えてもらいましたが、指摘されたのは2点。

・「きちんとしている」事へのこだわりが強そう。

・感覚鈍麻の傾向があるかもしれない。

前者は、小さい頃から予定変更を嫌がったり、保育園で言われた明日の持ち物をよく覚えていてリマインドしてくれたり、学校の先生に言われたことに妙に固執したり、最近顕著な上手くできないならやらないということであったり。。その発達の専門家はどんなやり取りで一瞬にしてそれを見抜いたんだろうか、と思いつつも、なるほどね、という感じでした。もっとも、片付けはできないし、手洗いうがいなんかもいい加減。食事もキレイに済ませるタイプではないし、字もきたない。そんな日頃のいい加減なところに掻き消されてしまって、彼の「きちんとしたいポイント」は全く分かりませんが。

それでも、親として考えていくべきは、この「きちんとしたいポイント」を上手くコントロールして良いところを伸ばしてあげることだということが分かったので、なんだかスッキリ。

 

一方で感覚鈍麻。なんだそりゃ!?というところからでした。色々ネットで調べて、なんとなく分かったかな。。という状況。例えば↓など参考になりました。

https://junior.litalico.jp/column/article/091/

そう言われてみれば、なるほど、という感じではあります。見えないフラフープの話も症状の一つかもしれない。もうすぐ8歳になるのに抱っこがとにかく好きだったり、すぐに飛びついてきたり。帰宅途中などに甘えるつもりが、強くしがみついてしまって私が転びそうになったり。学校でも、木琴のバチをとても強く握り、充分音は出ているのにものすごく強くたたいてしまう、ということがあったと聞きました。感覚として充分だとのフィードバックが脳に来ない。だから強く(近く)なってしまう。つまり、今の強さでないと本人は不安になるということ?そう思うとどう解決に導いてあげたら良いの??

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まだ診断が出たわけではないので、ちゃんと検査をしてもらって、診断が出れば、専門家のアドバイスをいただきながら考えていこうと思っています。

いずれにせよ、専門家の目線が入ることによって、長男の特徴をより具体的に捉えることができたように思います。自分たちだけで考えることの限界をまた感じた出来事でした。

ソーシャルワーカーさんとの時間

長男が小2の夏頃から、横浜市ソーシャルワーカーさんに、定期的に相談に乗っていただいています。横浜市総合リハビリセンターの発達外来の入り口はソーシャルワーカーの方との面談なのですが、担当して下さった方がとても良い方で、発達外来を受診するかどうか以前にこの方と継続してお話ししたいと思ったことがきっかけです。発達に特性のありそうな長男をどうサポートしていけば良いか、ということを家庭だけで考えていてだいぶ行き詰まっていたので、多くの事例を知っていらっしゃるソーシャルワーカーさんにアドバイスをいただき風穴を開けたかったのです。

今までの一番の気づきは、学校にどこまでサポートしてもらえるかを相談したら良い、とアドバイスいただいたこと。

夫婦共働きで、子供と一緒に過ごせる時間は週末と平日の数時間のみ。一緒にいる時間にいくらサポートして少し前に進んだかな、と思っても、学校ではサポート体制がなく「二歩進んでは三歩下がって」いて改善どころか、学校での問題行動が増え居場所がどんどんなくなっているように感じていました。そんな中、学校のちょっとしたサポートで変わる部分もあると思うし、学校に何が出来るかを相談してみてはどうですか?アドバイスをくださいました。学校が一人の子供のために何かしてれるなんて考えたこともなく、学校からお電話がある時などに少し相談をしていたのみ。強く働きかけることを勧めていただけたのは大きな後押しでした。

実際に学校がしてくださるようになったサポートは別途書きたいと思いますが、まずそもそも、先生方とコミュニケーションを「重ねる」ことができるようになったことがとてもありがたく、担任の先生も長男を気にかけて下さるようになり、少なくとも二歩進んで三歩下がることはなくなったと感じています。コミュニケーションを「重ねる」ことの成果は、少しずつ出始め、少しずつ良い方向に向き始めているように思います。もうすぐ担任の先生も変わるので油断禁物ですが、本当に感謝しています。

ソーシャルワーカーさんとの時間は、それ以外にも、その日を一つの区切りとして客観的に長男の変化を捉える時間であり、二回目からは夫婦で相談に行っているので、夫婦の認識の合っている部分と異なっている部分を浮き彫りにする時間でもあり、私自身の役割を再認識することにもつながるとても大事な時間です。毎回お話しするたびに、少し雲が晴れたような気持ちになり、前向きに向き合うことができています。

重ね重ね、感謝です。

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理想と現実の狭間で…

最近の長男に顕著だと感じるのは、何か少し難しい(難しそうな)ことにチャレンジすることことを嫌がること。どうやら、理想が高く、思うようにできない自分が嫌みたいなのです。。

スポーツも勉強もなんでもそう。見るからに自分にもできる!と思えることは率先してやりますが、そうでないと一気にやる気ダウン⤵︎。そんな時は体育も習っているバスケの練習も見学。ドリルもテストもやらない。他の人がやってたら、とりあえず一緒にやってみたって良さそうなものですが、彼は彼の理想とするレベルでできないと思ったらやらない。

何でも練習しなきゃ出来るようにならないよ、と、4歳の頃毎朝5時半に起きて自転車の朝練をして乗れるようになった時の話を持ち出して諭しても、効果はなし。私としては、何が原因でいつからこんなになっちゃったのかしら。。と思います。

長男が赤ちゃんの頃から、人と比較することはなるべくするまい、と気をつけて来たつもりでしたし、3月生まれの彼のペースでの成長をサポートして来たつもりです。〇〇できなきゃダメ、とか、□□さんはすごい!とか偉い!とか言った覚えもない。何か一生懸命やってできるようになった時は、一緒に喜んできたつもりです。

親が多くを期待するとプレッシャーだろうと思って、子育て支援拠点の人などとも沢山話して知恵をもらい、なるべく私は肩の力を抜いて、長男らしさを楽しみながら育てて来たつもりです。

保育園も子供一人一人を大事にしてくれる保育園で、トイトレもそれぞれのタイミングで、お箸を使い始めるのも出来る人から、縄跳びや鉄棒なども、目標は各人が先生と相談して決めてそれに向かって頑張る、というスタンスの保育園でした。

なのにどうして????と思うけれど、子育ては思い通りにならないことを改めて痛感。

小学校に進学して、全員に共通する目標が提示されて(テストは100点が満点、縄跳びカードには回数があらかじめ書いてあってそこを目指す、バスケの練習も全員で何回シュートが入れば次のメニュー、のように)、提示された目標に対してどのくらい出来るか、ということが問われることが増えたように思います。3月生まれのハンデもありつつ、彼なりに頑張りたい気持ちはあるのに、「彼なり」を受け入れてもらいにくい、あるいは受け入れてもらっていることを感じにくい仕組みになってしまっているように思えてならない今日この頃です。

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